大田稲門会創立25周年記念行事

【早稲田大学キャンパスツアー第2弾:東伏見・所沢編】9月21日(土)

朝10:00に西武新宿線・東伏見駅に集合。
心配された空模様は、少し残暑を感じる花曇りで参加者一同安堵する。

さあ、幾多の名選手を育てた早稲田スポーツの聖地・東伏見キャンパス巡りのスタート!
まずは、相撲道場へ。
徳田昌三相撲部会長(1970理工)のお取り計らいで、稽古の様子を畳敷きの桟敷席で見学させていただく。
翌日に大会を控えた選手達の気合が入った四股は圧巻でした。
見学の最後には、さらに徳田部会長の粋な計らいで、自称大田稲門会応援団長・神山が渾身のエールを送り、相撲部員の皆さまに真剣な表情で聞き入っていただきました。
相撲道場を後にし、ホッケー場へ。
ここは、天明昭雄相談役(1965政経)が学生時代に名FWとして青春の血を燃やした地。
ホッケー場の広さ、ボールの硬さ、スティックの長さに、天明先輩の偉大さを改めて思い知る。
その後、ア式蹴球(サッカー)場、米式蹴球(アメフト)場、馬術部馬場を回り、安部磯雄記念球場へ。
多くの皆さまの学生時代には、早稲田にあった安部球場。日露戦争の頃にアメリカで野球を学び、早大野球部のみならず、「日本野球の父」と呼ばれる安部磯雄先生が、大隈重信侯に頼み込んで設立したとの伝説があります。1987年に東伏見へ移って37年が経ちます。
東京六大学野球リーグ戦の最中ですが、この週は神宮球場の試合がオフのため、幸運にも紅白戦(一軍vs二軍)の真剣勝負を観戦。厳しい表情で試合を見守る小宮山悟監督の姿を間近で見ることもできました。
私ごとですが、幼馴染の鈴木浩文コーチ(1993卒・元ヤクルトスワローズ)に40数年ぶりに再会し、感激!
最後に、王座17連覇の名門・庭球部のコートを見学して東伏見ツアー終了。
東伏見稲荷神社参道にある、早大運動部御用達の中華料理店『上海菜館』を貸切で昼食会。
若きアスリート学生の胃袋を満たす量のお任せランチコース料理は、大変美味なのですが・・・とても食べ切れる量ではなかったのでした。
※「東伏見」という地名は、東京に京都・伏見稲荷大神の分霊をつくろうと、昭和4年に建立された東伏見稲荷神社に因んでいます。

東伏見を後にし、電車を乗り継いで小手指駅へ移動。専用スクールバスで早稲田大学所沢キャンパスへと向かう。
約20分間揺られたバスの車窓に見えるのは、広大な山と畑と農家とトトロの森。
「こんな田舎に早稲田大学があるの?」
とのメンバー声も聞こえる。
1987年に開校。人間科学部・スポーツ科学部を擁し、一学年約1000人の学生が学ぶ所沢キャンパス正門へ到着。
そこには狭山丘陵の山を切り開いて造られた、広大なキャンパスに白亜の校舎が聳え立っています。
あまりに広く、学生ガイドツアーの集合場所が見つからない。迷路のような校舎を彷徨い、10分の遅刻で到着。
坂道と階段のアップダウンに翻弄されながら、人間科学部3年生の聡明な女子学生ガイドの引率で、キャンパスツアーが始まりました
約1時間、充実した学習環境、トレーニング設備、キレイで美味しそうな学食、現金使用不可の生協売店、等々を案内していただき、また現代の早大生の生活ぶりもお話ししてくださいました。
早稲田・高田馬場に当たり前にある勉学以外の誘惑物=飲み屋、雀荘、パチンコ屋、映画館、古本屋、たまり場の喫茶店…etc. 一切何もない。
あるのは、澄みきった空気と常に聞こえる鳥のさえずり、時にはタヌキが出没するという雑木林。
「ここなら、学業とスポーツに専念できるね。」
「あの環境で過ごしたなら、もっと勉学に励んでいて人生変わっていたかも。でもやっぱり雀荘がいっぱいの本部キャンパスがいいね。」
と、妙な感心をし、終いには、
「今の学生って勉強してるんだなぁ。」
「ここでバーベキューやったら旨いよ。」
などと口走る輩も。
我ら大昔の早大生一同、自らの学生時代と照らし合わせ、色々な意味で隔世の感が胸に刺さりつつ、帰りの小手指駅行きスクールバスに乗り込んだのでした。
そして小手指にて夜の懇親会。
昼の東伏見での中華料理が消化し切れていない状態で、性懲りもなく?学生御用達の居酒屋で、とても食べきれない大量の料理と飲み放題を堪能し、都の西北で締めくくってお開きとなりました。

ご参加の皆さまと一緒に、早稲田大学の現代の姿を体感し、充実した1日を過ごすことができましたこと、心より御礼申し上げます。

世話人 神山正幸(1985法)

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