「日光街道歩き」開催報告

4月22日(土)、旧中山道に続き「旧日光街道」を歩く会が開催された。
_旧日光街道も江戸五街道の一つで、本来は日本橋から出てすぐの室町を右折、馬喰町から浅草橋を経て浅草雷門に向かうのだが、今回は距離を短縮するため雷門前に集合し、山谷堀を辿りながら、千住宿を目指すこととした。
_雷門に集合したのは総勢21名、中でも白眉なのは1955卒の新井大先輩をメンバーに加え、最後の「都の西北」までお付き合いいただけた事であった。天候は曇り、4月下旬にしては肌寒い日であったが、歩きの旅には快適であった。
_雷門から仲見世裏を通り浅草寺へ、二天門を出て姥ヶ池の故事で有名な花川戸公園から日光街道を待乳山聖天へ、池波正太郎生誕の地の銘を見ながら山谷堀に入り吉原大門に向かう。見返り柳を背に再び日光街道に戻り千住方面へ、泪橋交差点から南千住駅のところにある小塚原刑場跡(首切り地蔵)・回向院を辿り素戔嗚神社、昭和2年に出来た千住大橋を渡り、元やっちゃ場南詰めから千住宿に入る。北千住駅を右手に見ながら千住宿の北外れ、荒川土手手前の名倉医院まで、約6キロの道のりを辿った。
_街道歩き終了後は、北千住駅そばの居酒屋2階を貸し切り懇親会、貸し切った目的である「都の西北」を全員で歌い最後を締めた。
_この「日光街道歩き」の紀行文は、次の会報40号に掲載予定です。(磯部記)

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