7/22(水)
演劇を知る会では、第17弾として
こまつ座『マンザナ、わが町』
を観劇してきました。
劇場へ向かう前から、私には一つの疑問がありました。
第二次世界大戦中、日系アメリカ人が強制収容されたマンザナ収容所。
そんな場所を、なぜ「わが町」と呼ぶのだろう。
井上ひさしさんは、このタイトルをどう納得させてくれるのか。その答えを知りたくて劇場へ向かいました。
ところが、その予想は冒頭で大きく覆されます。
『マンザナ、わが町』とは、収容所長の命令で上演される、一種のプロパガンダ朗読劇だったのです。
収容所は平和で、人々は幸せに暮らしている。
そんな姿を外の世界へ、そして収容所で暮らす人々自身にも示すための劇。
舞台に登場する五人は、その朗読劇を収容所内で何十回も上演するよう命じられた女性たちだったのです。
冒頭
私の心を最も揺さぶったのは、アメリカという国の二つの顔でした。
自由、平等、努力すれば夢がかなうというアメリカンドリーム。
その一方で、同じ国が日系アメリカ人一世、二世を強制収容所へ送り込むという現実。
理想と現実。
そのあまりにも大きな落差に、私は何度も立ち止まりました。
そして、もう一つ強く印象に残ったのが、この五人の登場人物です。
若き日系二世の歌手。
浪曲師。
新聞記者。
ハリウッドで活躍する日系人女優。
そして、物語の鍵を握る、ある女性。
ここから先は、ぜひ劇場で味わっていただきたいと思います。
五人はそれぞれ異なる人生を歩みながら、同じ収容所で出会います。
だからこそ、一人ひとりの言葉や選択に重みがありました。
パンフレットには、「過酷な状況を精一杯生きる庶民を描いている」という出演者の言葉がありました。
まさにその通り、それぞれ異なる事情を抱えた五人が織りなす人間ドラマに、私は最後まで引き込まれました。
また、「収容所という狭い空間にも日常はある。しかし、その声にならない苦しさがこの戯曲には詰まっている」という言葉にも深くうなずかされました。
収容所だからといって、毎日が絶望だけではありません。
食事をし、笑い、語り合う日もある。
しかし、その日常は自由を奪われた現実の上に成り立っている。
その矛盾こそが、この作品の深さなのだと感じました。
パンフレットの最後には、井上麻矢さんと蓮舫さんの対談が掲載されていました。
「多様な価値観を持つ人々が、ともに生きる社会を」
この言葉は、『マンザナ、わが町』が戦時中の日系アメリカ人だけの物語ではなく、今を生きる私たちへの問いでもあることを教えてくれたように思います。
観劇後は、いつものように懇親会へ。
「ラストシーンが少しきれいすぎるのではないか」という感想が出て、私はハッとしました。
実は私も、同じことを感じていたからです。
けれども、井上ひさし作品である以上、この結末に意味がないわけはありません。
なぜ、このラストだったのか。
その問いは、今も私の中に残っています。
もう少し、この作品の余韻を味わいながら、自分なりの答えを探してみたいと思います。
**「演劇を知る会」**では、宝塚、劇団四季、こまつ座など、さまざまな舞台作品を鑑賞し、その魅力を語り合っています。
宝塚や劇団四季のように、華やかな舞台で非日常の世界へ誘ってくれる作品。
そして、こまつ座のように、観終わった後も心に問いを残し、自分自身や社会について考え続けたくなる作品。
そのどちらも、演劇ならではの大きな魅力だと私は思っています。
これからも幅広い作品をご紹介していきますので、ご興味のある作品がありましたら、ぜひご一緒しましょう。
皆さまの**「演劇を知る会」**へのご参加を、心よりお待ちしております。
演劇を知る会世話人 川田葉子




